2017年3月28日火曜日

伊勢ツキヨミ宮の謎

 今回は伊勢の内宮と外宮それぞれの別宮である月読宮(外宮では月夜見宮)の謎に迫ります。とても特別なお宮であり、この宮やご祭神である月読命にはさまざまな憶測や考察がありますが、可能な限り常識にとらわれず、ここでは私達なりの客観的な仮説を提唱したいと思います。

  まずは伊勢神宮について基礎からおさらいしましょう。

  伊勢神宮には内宮と外宮、二つの正宮があります。内宮正宮のご祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。太陽の神であり、皇室の御祖先としてその名を知らない人はいないでしょう。対して外宮正宮のご祭神は豊受大御神(とようけのおおみかみ)。この神様は日本書紀には登場しない、よくわからない神様です。古事記では「豊宇気毘売神」「等由気大神」などと表記され、天照大御神のお食事を担当される神様、とされています。古事記では、国生み神話の伊奘冉(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子と書かれています。しかしこの神様は、出身だけははっきりと明らかになっているところが面白いところで、「丹波国の比沼真名井」つまり現在の丹後半島にある籠神社(奥の院の名が真名井神社)より天照大御神が伊勢探しの旅に呼ばれた、と書かれています。つまり丹後出身のよくわからない神様、なのです。

  日本書紀では伊奘諾(いざなぎ)と伊奘冉の正当な子として、そして古事記では伊奘諾の左目から生まれた太陽の化身として記述される三貴神のひとり天照大御神と、伊奘冉の系統とは言え別の神から生まれたお食事係の豊受大御神が同列に並ぶ、というのはだいぶ違和感があります。歴史学者であり宮司でもある戸矢学氏が著書「ツクヨミ 秘された神」の中で指摘している通り、天照大御神と川を挟んで隣同士に並ぶ神格を持つのは、同じく三貴神であり右目から生まれた月読命(つくよみのみこと)こそふさわしいと思います。しかし何故か、月読命は内宮でも外宮でも別宮扱いであり、完全に独立した形でそっと正宮に寄り添っています。

  月読宮(外宮では月夜見宮と書きますが、どちらもつきよみのみや、と読みますので以降内宮外宮を分ける時以外はまとめてツキヨミ宮とします)のご祭神である月読命は、天照大御神の弟神にあたり、左目から生まれた天照と右目から生まれた月読は、まさに昼と夜、表と裏の関係です。よって伊勢神宮の数ある別宮の中でもひときわ特別な扱いを受けています。

  場所を確認すると、内宮の月読宮は正宮から北へ約2km離れたところにあります。周囲は凸型の下の棒がない、内宮側の底が抜けた形のお濠(ほり)で囲まれています。お濠の一辺は約150m。実はこの月読宮と内宮正宮がある五十鈴川で囲まれた敷地は、サイズ的にちょうど月と地球のサイズ比に一致しているばかりか、距離も月と地球の比と一致するのですが、これって偶然なのでしょうか?

 外宮の月夜見宮は、外宮正宮から北へ約700m離れたところにあり、外宮側へ入り口を向けた、凹の字のへっこんだ部分を取り去った形のお濠で囲まれています。

左図は外宮の月夜見宮、右図は内宮の月読宮(Google Mapより)

 お濠の一辺は約120m。外宮は内宮のようなサイズや距離の不思議は無いものの、正宮からほぼ真北に位置するということは、月夜見宮から夜に正宮をみると、南に入る月が正宮の上に綺麗に見えるであろう配置です。つまり、月夜見宮がその名の通り月を読む、あるいは月を見るという目的で作られた宮であるなら、その姿が正宮の上に上がるこの配置は理に叶っていると言えます。

正宮とツキヨミ宮との位置関係(Google Mapより)

この内・外宮正宮と二つのツキヨミ宮、どうも一見創建の意味合いが異なっていそうにも見えますが、お濠の凸凹構造にせよ配置にせよ、そもそも月読命を内・外宮正宮に対し同じ配置で祀るということ自体、ツキヨミ宮が正宮と対である確固たる証と言えます。

 この内・外宮正宮とツキヨミ宮の対構造は、本殿の屋根に並ぶ千木(ちぎ)の削ぎ方と鰹木(かつおぎ)の数からもみてとれます。内宮では、正宮、別宮の区別なく全ての本殿を飾る千木は内削ぎで、鰹木は偶数本です。内削ぎの千木と偶数本の鰹木は、一般的にご祭神が女性である場合に用いられます。例えば草薙剣を守る熱田神宮は、日本武尊の妻である宮簀媛の神社であり、この様式を取っています。一方外宮では、正宮、別宮の区別なく全ての千木は外削ぎ、鰹木は奇数に揃えられています。これは一般的にご祭神が男性である場合に用いられている様式です。

 つまり内宮と外宮、どちらも天照大御神(一説には男性説もあり)と豊受大御神(天照のお食事係であり関係は従属的、豊受姫と明確に女性として記載する神社もあり)という女神を祀っている設定であるにも関わらず、社の形態は内宮が女性、外宮が男性と、男女一対になっているのです。さまざまな説があるとはいえ、特に豊受大御神は男神を祀る構造を取る外宮正宮のご祭神には馴染まないのではないかと思われます。もっと言うなら、この豊受大御神は古事記のみ明記している神であり、日本書紀には登場しないくらいの神様です。さらにこれは伊勢神宮の最大の謎と言ってもいいのですが、三種の神器のひとつとされる八咫鏡をご神体とする内宮に対し、外宮のご神体は何なのか明らかにされていないのです。これはあまりにも内宮と外宮で差が大きいと言わざるを得ません。

 この豊受大御神にも、天照の弟神である月読命が組み合わされているのが妙ではないですか。天照、月読、素戔嗚は伊奘諾から生まれたれっきとした三貴神です。伊勢に素戔嗚が皆無なのも気になりますが、何よりまず月読が内宮と外宮でダブルブッキングしていること自体、めちゃくちゃ謎じゃないでしょうか。

  ここからが本題です。今回は仮説を超大胆に展開していきましょう。

 日本では古来より二元論で物事が考えられてきました。太極図に代表されるように、陰と陽、月と太陽、男と女、暗と明、内と外、など、全ては表裏一体、ふたつでひとつの形を取ります。神様もしかり。古事記ではまず天地開闢の際に現れたのが天之御中主神(あめのみなかぬし)で、その後より高御産巣日(たかみむすび)、神産巣日(かみむすび)の二神がセットで現れます。つまりこの造化三神と呼ばれる三神の最初の一人から伊奘諾・伊奘冉に到るまで、つまり三貴神の現れる前までは、ほぼ神は対で現れます。これらは常にふたりでひとつという考え方です。内宮と外宮というコンセプトも、これとほぼ同じ考え方でつくられたからこそ、同じような構造で建てられ、一方を女神、もう一方を男神として作ったのではないでしょうか。
 
 つまり私たちは、外宮のご祭神とされる豊受大御神の本性、それは男神なのではないか、と考えているのです。そしてその対である外宮のツキヨミ宮には女神、内宮のツキヨミ宮には男神が祀られているのではないでしょうか。千木、鰹木の性質を正宮にのみ信頼した場合、この仮説は成立します。つまり構造的には内宮・外宮が男女であるが、そのご祭神も男女ペアになっているのではないですか、というのが今回一番の仮説なのです。
 
 ちなみに、内宮側の月読命は男神であると皇太神宮儀式帳に記述があります。皇太神宮儀式帳によると、月読命のお姿は馬に乗る「男」の形であり、紫の衣を羽織り、金の剣を持つと書かれています。つまり内宮では純然たる設定として月読命は男神なのです。しかし何度も言いますが、内宮の月読宮は千木も鰹木も女神仕様であり、記述に反します。もちろん月読命は女神である、という解釈もあります。

 よく考えてみると、上記の月読命のお姿は天皇や天皇に並ぶくらいの高貴な血筋の人のお姿を比しているのではないか、と考えられます。紫とは、佐賀の吉野ヶ里遺跡から紫に染められた繊維が出土するなど日本では古くから使われていた色です。しかし小さな貝から取るので非常に手間がかかり高価な色として知られています。つまり高貴な身分の人物しか持ち得なかったものです。8世紀の律令制で明確に禁色が設定され、特に紫は親王・諸王・諸臣三位以上しか持つことが許されない色とされてきたことが知られています。紫が天皇の色と印象付けた代表的な歌がありますね。

額田王から大海人皇子(天武天皇)へ詠んだ恋の歌
「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
対して大海人皇子はこう返します
「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも」

あなたが私に向けて手を振る様を野の番人が見やしないでしょうか と言う額田王に、紫のように美しい貴女を憎いと思うなら、人妻なのにどうして恋などするだろう  と天武天皇が返します。

 紫は天皇かそれに相応する身分を現す証であり、高貴な色であることがよく分かる歌です。このように紫の衣を着た金色の剣を佩刀する馬に乗る男性って、天皇とまではいかなくても親王以上の身分の人を指しているのではないでしょうか。そう思ってしまうくらい、内宮の月読命の説明は生々しく具体的です。しかも、これは戸矢学氏も指摘していますが「月読命」は月を読む神と書き、そもそも月そのものの神(月神)とは書かれていないのです。月を読むとは暦を読むこと、暦に精通していた上、古事記の記載内容に指示を与えることができた位の高い御仁って、年代的にも立場的にも「天文遁甲を良くした」あの天皇そのものであると思うのですがどうでしょうか。

  しかし、そもそも神様に性別を割り当てることは考えてみれば妙な行為です。神である限り、両面性があっても不思議ではありません。天照大御神は一般的には女神とされていますが、男神であるという考えを持った学説もあります。もっと言えば、内宮側のツキヨミは月読ではなく素戔嗚なのかもしれません。三貴神を同格と扱うなら、素戔嗚の可能性もあるわけです。事実、月読命と素戔嗚は逸話が重なっているものが多く、そうなると月読命は素戔嗚尊と裏と表、または女と男の関係とも言えるかもしれません。こう考えると、そもそも豊受大御神とは天照大御神の裏の顔、つまり素盞嗚を暗に示した可能性だってあるのではないでしょうか。三貴神の中でも特に出雲との関わりがあるなど、国津神の性質を色濃く持つ素盞嗚を外宮へ大々的に明記するわけにはいかなかったから、あえて豊受大御神という豊穣の神、いわゆる地球や大地そのものの国津神の象徴として比したのでしょうか。全くもって分かりません。しかし、もし仮に素戔嗚尊だとすると、丹後籠神社から来た国津神、という設定は合うと思いますし、何より天津神に対する国津神、という対も成立すると思うのですが、どうでしょうか。

 白川静が説いた神の勅を納める箱を意味する象形文字「サイ」の形にも似たお濠に囲まれる2つのツキヨミ宮。そのお濠が、一方は凸の字に似ており、他方が凹の字に似ているのは偶然なのでしょうか。お濠を字に見立てれば、内宮は男、外宮は女であるというのは大胆すぎる仮説でしょうか。もしそうなら、豊受は天照と表裏の関係、男性女性の関係、夫婦の関係、を表していると考えるのが自然だと私たちは考えるのです。

 結局のところ、外宮の豊受大御神、あるいはご神体の謎が解かれないままでは、2つのツキヨミ宮の謎は謎のままなのです。

 さらなる歴史の冒険が必要なようですね。

(文責S)

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