2019年3月9日土曜日

吉田悠軌氏との対談

ロマンで古代史は読み解けないの前書きにも書きましたが、
私達は大のオカルト好き。

2019年3月10日は吉田悠軌氏との対談イベントに参戦します。
面白くなるに決まってるけど、どっちへ転ぶのかな?

http://www.mochiproject.com/

https://twitter.com/kajyaxx/status/1091273432434499585

後日記:無事おわりました。あっちへ転びましたね(笑)

2019年3月1日金曜日

椿

 2月も終わり、ついに年度末がやってきますね。新年度から新たなスタートを切られる方も多いのではないでしょうか。この時期は二十四節気で言うところの雨水にあたります。寒さが和らぎ、氷が解けて水になる季節ですが、寒さがゆり戻しのようにやってきて、昨日までの暖かさが嘘のような冬の寒気が舞い戻る時期でもあります。このような季節の行き来がある現象を、古くから「三寒四温」と呼ぶのは、みなさまも良くご存知かと思います。日々ころころと寒暖が入れ替わる時期も、春一番が吹いたあとは徐々に上空から寒気が押しやられ、暖かさが増していきます。春はもうすぐそこまで来ているのです。
 さて、今回はこの季節を代表する、日本原産のあの花を取り上げてみましょう。それは茶道の茶花の女王「椿」です。

 椿は日本原産で、本州、四国、九州、北は青森県にまで分布するなど、日本全国幅広く群生しています。本州の中北部や、比較的標高の高い場所でよくみられるユキツバキは近縁種で、通常の椿とは微妙に群生地が異なり、棲み分けが起きているようです。和名の椿(つばき)の始まりは良く分かっていませんが、厚葉樹(あつばき)や艶葉樹(つやばき)が転じたものであるといわれています。日本での椿の記述は古く、万葉集や日本書紀、出雲風土記にも椿が記述されています。中国でも、隋の2代目皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」「海石榴」という記述で出てきますが、もともと中国本土には椿はなかったため、これは海の向こうにある日本からやってきた花、という意味の漢字であるようです。ただ、この「海石榴」が本当に私たちが見知っている椿であったのかどうかについては、現在も論争が続いており、国際的には未だ認められていないようです。

 椿は通説として「首から落ちるから縁起が悪く、武士には忌み嫌われた」といった、いわゆる忌み花と聞いたことがある人もいらっしゃるかと思います。しかしこの説は江戸時代以前の文献には一切出てこないばかりか、反対に徳川幕府が江戸に開かれたことによって多くの寺社仏閣、武家屋敷に好んで植栽されていきました。特に2代目将軍である徳川秀忠の椿好きは有名で、慶長18年に刊行された「武家深秘録」の中には「将軍秀忠花癖あり、名花を諸国に徴し、これを後吹上花壇に栽えて愛玩す。此頃より山茶(椿の中国語表記)流行し、数多の珍種をだす」と書かれています。これがいわゆる江戸椿の基礎となったのです。このため、徳川家と縁深いこの愛知県でも江戸時代より椿の育成が重んじられ、さまざまな品種が生み出されることになりました。特に有名なのは名古屋城御殿椿として名高い「尾張五色椿」ですね。成木になると、ひとつの木で白、白地に桃縦紋、紅地白覆輪、桃色など、さまざまな色合いの椿の花が咲くのでこの名がつきました。

 また椿は日本では魔除の木としても重用されてきました。中国の正月の魔除お守りに「剛卯杖」というものがあります。これは漢の時代に始まった風習で、正月の卯の時期に白玉などで装飾し、魔除けの呪文を刻んだ桃の木を腰に刺し魔を払います。剛卯という言葉は、中国の皇帝の姓である「劉」の字が「金」「卯」から成り、ここに剛の字を加えることで「無敵の強さ」を意味するそうです。この風習が日本に伝わったところ、日本には古来桃がなかったため、材質として強い椿が代用されたものと思われます。そして日本ではこの杖を腰に刺すのではなく、宮廷では正月に部屋の四方に飾る、魔除けの杖「卯杖」として独自の形態を取っていくことになるのです。日本書紀には、この卯杖80本が持統天皇に献上された記述が残されているだけでなく、正倉院宝物殿に保管されている卯杖の材質について椿(海石榴)であるという記述が残されています。卯杖の風習は今でも京都の上賀茂神社で残され、正月の卯の神事の際には参拝客に卯杖が配られています。

 この椿、幸田町に名所があります。深溝松平家の菩提寺として名高い「曹洞宗瑞雲山本光寺」です。ここは三河の椿郷として知られ、本堂裏手から展望台に至る山の斜面全てが椿園になっており、実に200種、計5000本もの椿が植えられています。見ごろのピークは3月下旬からのようですが、早咲きのものもありますので、今からちょうど見ごろになるはずです(http://www.kota-kanko.jp/event/ajisai.htm)。


 椿というと、古い映画が好きな私などは、黒澤明監督の「椿三十郎」を思い出します。隣にある敵のアジトから流れる水路に椿を流し、それを合図に一斉に切り込む、という女性ならではのアイディアに笑うとともにひざを打ち、そして敵の手によってたくさんの椿が水路に流れていくさまに、胸がすくような思いがしたことを今でも覚えています。何か大きな仕事など、人生の山場とも言える瞬間くらい、椿が似合うシチュエーションは、もしかしたらないかもしれませんね。

2019年1月25日金曜日

妄想古典深読み斜め読み<紀小鹿郎女(きのおしかのいらつめ)>

 紀郎女、又の名を紀小鹿郎女。紀鹿人の娘で安貴王の妻。夫が藤原家の妻と不倫して略奪した挙句、不敬罪で官職を追われてしまった小鹿さんは、まだうら若き20歳だった。失意のまま恭仁京にひとり暮らしていた彼女に魅了されたのが、有名な歌人大伴家持。出会った頃の家持は20代、その頃は30をゆうに越えてしまっていた小鹿からみたら一回り近くも下だったが、二人はいくつか恋歌を交わしている。彼らの恋歌はやれ粋だ、素敵だ、ともてはやされることが多いが、私はそんな良い話なんかじゃないのではないかな、と思っている。

家持は、確かに小鹿を愛していただろう。しかし家持が愛していたのは小鹿の非凡な歌の才であって、彼女の全てではない。彼女に素晴らしい言葉を編ませるために、わざと家持は彼女にメンションを飛ばしていたんじゃないかと私は思う。

彼女へ優しい言葉を投げ、本気になりそうになったら肩を透かす、そうして生まれた戯れのような歌の数々から垣間見える、家持という御仁のサイコな気質に戦慄すら覚える。

小鹿の「小」は敬称。いわゆるイタリア人が美男美女に送るバンビーノ、バンビーナ「小鹿ちゃん」とは違い、若く美しい鹿の君、という意味。さしずめ鹿御前、といったところか。彼女の父親である鹿人と掛けた、粋な名である。

言葉は言霊と信じられていた古代、特に女性の名が文書として残されることはほとんどなかった。このような中、家持は彼女の歌に注釈で「小鹿」をPRし続ける。それはちょっと偏執的なまでに執拗に。

これを家持の愛ととるか?いやいや、反対に家持は生理的にこの女性を嫌っていたんじゃないのかと思う。だからこそ、戯れとして持ち上げ、嘲笑い、弄び、挙句恭仁京の単身赴任期間を終えて平城京へ戻ってからは一切彼女との連絡を切ったのではないか。

穿った見方かもしれないけど、私はどうにも家持が好きになれない。むしろ怖いとすら思う。

その才ゆえ、ターゲットにされた鹿御前、もし生まれ変わってまた二人が出会った時には、カウンターで肘を顎に入れ、うずくまったらこめかみに蹴りいれるくらいやって良いと私は思う。むしろやってくれ。それくらいしても貴女は許される。

問題のやりとりはこんな感じ。


<やりとりに至るまでのあらすじ>
夫の浮気と逃亡、失職と三重苦状態の小鹿ちゃん。失意のまま恭仁京に来た彼女のもとに、屋敷の草取りやら何やらと、やたら甲斐甲斐しく尽くしてくれる家持が現れる。そのうち家持から歌が送られてくるようになり、しまいには「いろいろ尽くしたのに貴女から何のご褒美もない」という恋文が届くまでになる。そんな家持に小鹿が返した歌がこれ。

小鹿
戯奴がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ

ー私がアナタのために採った茅花でも食べて少しは太りなさいませー


対する家持
吾が君に戯奴は恋ふらし給りたる茅花を喫めどいや痩せにやす

ー貴女に恋してしまって食べてもやせるばかりですー


小鹿
昼は咲き夜は恋ひ寝ぬる合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ

ー昼は華々しく暮らしているように見えても夜はアナタがいないから、ひとり寂しく寝ているのよー


この句に対する家持の返歌がこれ。マジ鬼畜。


神さぶと否にはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも

ー恋するには貴女が年老いてしまったから拒んでいるのではないですよ、しかしこうしてお断りした以上、寂しい思いをしているかもしれませんねー


百年に老舌出でてよよむとも吾は厭はじ恋は増すとも

ーまあでも、年老いて腰が曲がり、歯の間から舌が覗くようになっても、僕の貴女への恋心は増すばかり、嫌いになどなるわけがありませんー


女性からの恋文に対してお断りする時に、自分ではどうにも努力のしようもない「年齢」を理由に持ち出した挙句、追い打ちにこんなゲスい歌送ってくるとかマジで気でも狂ってんのかと。今までのは何だったんだと正気を疑うレベル。単に彼女に恥かかせて楽しんでいるとしか思えない。だとしたらマジサイコパス以外の何者でもない。私ならこんな扱いされたら立ち直れん。

しかし小鹿ちゃんは気高く、賢い。そして大人だ。

玉の緒を沫緒に搓りて結べらば在りて後にも逢はざらめやも

ー二人の魂の尾を儚い泡のようであっても撚りあわせ、結んでおけば、いつか遠い未来また会う日が来るかもしれませんねー

この句をもって狂気のやり取りは終わる。

最後に彼女が紡いだ、この呪の如く強い言葉に立ち向かえる言葉が、たかが20代の似非インテリ、クソッタレバカガキの家持にはなかったのだろう。鹿は仏の乗り物。神の遣いだ。文章の神様は最後、彼女の肩を抱いたのだと私は思いたい。

梅の話

 2月に入りますね、みなさまいかがお過ごしでしょうか?平成も残すところあとわずかとなってまいりました。時は大寒、一年で最も寒さが厳しい時期にあたります。日本には古くから寒稽古という習慣があり、この時期にあえて武道や水泳などの稽古を行うことで、寒さに耐えられるだけの体力と気力を養おうとしてきました。遠い昔の話ですが、私の通っていた高校にも寒稽古のシステムが残っており、この時期は特に学校へ通うこと自体が苦痛で仕方がなかったことを覚えています。さて、この時期は単に寒く辛いだけかというと、あながちそうでもありません。

 今ちょうどタイムリーな植物は蕗の薹(ふきのとう)ですね。季節を細分化した七十二候では、この時期はちょうど「款冬華(ふきのはなさく)」と記されます。スキーのリフトの上から下を覗くと、雪の下からぽつぽつと顔を出し始めた蕗の薹がみえることがあります。この時期顔を出す花は、春の訪れの象徴とも言えるものです。天ぷらや蕗味噌などの苦味に春を感じられる方も多いかと思います。また、今時期の日本海側はちょうど寒鰤の解禁の時期です。12月、1月とタラバガニ(ズワイガニ)の解禁を迎え、その後すぐにやってくるのが鰤の季節です。成長するにつれて名前が変わる鰤は出世魚として知られ、お正月や結婚式など、慶事には欠かせない食材と言えます。特にこの時期の鰤は寒さのため脂肪が多く、鍋の具材として重宝されます。今時期は特に高いので、なかなか手が出ませんが、お祝いの席がある方にはぜひ召し上がっていただきたいご馳走ですね。

 他にも百合根など、美味しいものが本当に多くて楽しいこの時期に、そろそろ咲き始める花が梅です。梅は2月から4月頃までと、ゆっくり花開き、長く開花を楽しむことができる花です。種類も多く500種以上あると言われており、日本では古くから梅の美しい姿と香りに多くの歌人が魅了され、創作の題材とされてきました。特に菅原道眞公が梅を愛したことは有名で、拾遺和歌集に残された「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主人なしとて 春を忘るな(春な忘れそ、は後世の改変による言い回しです)」を聞いたことがない人はまずいないでしょう。太宰府へ流される前、主人がいなくても春が来たら咲き誇り、その香りをいっぱいにおこしておくれ、と、庭に咲く梅の花に思いを寄せて詠まれた句です。この歌には実はこの後続きがあり、梅は道眞を追って太宰府へ飛び、道眞の邸宅前に根を下ろした、と言われています。これがいわゆる「飛梅」伝説です。

 数ある梅の歌の中で、私が一番好きな歌は万葉集に残された、紀小鹿郎女(きのおしかのいらつめ)が詠んだ句です。

十二月には 沫雪降ると 知らねかも 梅の花咲く 含めらずして(万8-1648)

<訳>
十二月(旧暦ではもう春間近の時期)には、沫雪が降ると梅は知らないのかも、もう梅の花が咲き始めてしまった、どうか蕾のままでいないでそのまま咲いて

春先とは言え、まだまだ寒いこの季節。もう梅の花がほころび始めたけど、また寒くなったら咲かずに蕾で終わってしまうかもしれない、どうかこのまま順調に咲いてくれますように、という、早咲きの梅を気遣う、とても優しく綺麗な歌です。この歌を読んだ紀小鹿郎女とは、天智天皇の第2子である川島皇子の孫である安貴王の妻という身分の高い女性ですが、夫が数々の不祥事の末職を奪われた上、ひとりぼっちにされてしまいます。しかしその非凡な歌の才から大伴家持に愛されるなど、情熱的な人生を送られたようです。この歌だけでなく、同じく万葉集に残された、夫へ向けた数々の怨恨歌、そして10歳近く下の大伴家持と交わした恋歌からも、彼女の純粋で優しく気高い人柄を垣間見ることができます。

 今年度も残すところあと少しです。春を迎えるにあたり、徐々に忙しくなってきますが、みなさまご無理をなさらぬよう、ご自愛ください。まだまだ季節は寒いままです。お風邪を召しませんよう、体調管理に十分気をつけるだけでなく、心の健康管理にもぜひ気を配ってあげてください。梅の季節は長いです。焦らずともちゃんとみなさんを待っていてくれると思いますよ。


2018年12月28日金曜日

新年に舞う能「翁」の話

 今回は、私の大好きな能についてご紹介します。

 能の舞台演目は多々あれど、中でも最も異質であり、正月にしかほぼ舞われることのない特別な演目が「翁(おきな)」です。翁は古くから「能にして能にあらず」と評された演目で、他の演目とは明らかに別格、つまり神聖なものとして扱われてきました。いつ・誰が作った演目であるのか、その由来は謎に包まれていますが、天下泰平、国土安寧を祈願する演目であると言われていることから、楽しむためのものというよりも、むしろ神事に近いものである思われます。この翁を舞う機会はとても少ないですが、そのうちのひとつが正月です。

 翁は舞台で舞うその瞬間だけが全てではありません。翁を務める演者は上演前の約21日前より精進潔斎に入り、通常生活に使う火とは違う特別に清められた火を使って煮炊きされた食事を摂る生活を送ります。そして舞台当日は舞台の屋根の部分にしめ縄を張り巡らしたり、お神酒や米、粗塩、そして祭壇を備え、舞台全体を神域に仕立てます。舞は、翁、千歳、三番叟という三人の演者によって舞われますが、主役は翁と三番叟であり、千歳の役所は翁と三番叟の露払い(導く者)です。この舞が他の能の演目と全く違うのは、主役の二人が舞台の上で面を着けたり外したりする所作があるところです。通常能の舞台では演者は必ず舞台裏で面を着けてから登場しますが、翁役は面を着けずに登場します。舞台の上で翁役はひとつ舞を舞うと、舞台上で翁面(白式尉)を着け、さらにもうひと舞披露します。そして千歳に導かれ退出した翁と入れ替わり、同じく面を着けていない三番叟役が現れ、翁同様ひと舞舞った後、舞台上で黒式尉の面を着け、さらにもうひと舞舞うのです。翁と三番叟の役回りは、あたかも二人が陰陽を意味しているかのようにもみえますね。ちなみに一連の舞の間は観客すらも神事の一部とされ、客席の出入りは一切許されません。厳かな舞台空間はさながら異世界そのものです。難解な舞台ではありますが、この圧倒的な異世界感は、実際に体験してみるだけの価値があると思います。

 日本の武道、舞台の多くには、神事の要素が含まれているものが多くあります。そしてそれらは古くからその真意がわかる、わからないに関わらず、達人達の手によって代々踏襲され、保存されてきました。その真意とは、実際に演じた人の数だけ、さらには居合わせた人の数だけ存在するのかもしれません。

 みなさまもぜひ一度、能という日本の伝統芸能が連れて行ってくれる異世界を体験してみてください。異世界とは言っても、決して怖いものではありませんので大丈夫。正月だからこそ垣間見ることができる神様の世界を、隙間からそっと見せていただくのです。それはきっと素晴らしく清冽な世界だと思いますよ。


2018年12月3日月曜日

岡さんぽ

12月2日(日)。

岡崎の歴史ミステリーツアーを実施しました。
http://www.okazakicci.or.jp/okasanpo/
http://www.okazakicci.or.jp/okasanpo/20181202/course.html
("六"にまつわる古代史ミステリーさんぽ 3.5キロ)

行程は、
籠田公園出発ー二七市ー本町清明神社ー菅生神社ー唐沢清明神社ー高岩跡ー吹矢橋ー吹矢橋公園ー六所神社解散
の約2時間30分でした。

晴天のなか24名の方にお集まりいただき、
「ロマンで古代史は読み解けない」に因んだ場所を練り歩きました。
熱心な質問も頂き、また歴史にとてもお詳しい方、
岡崎に詳しい方もおられ、とても楽しい散歩となりました。


2018年10月30日火曜日

再始動

ひとつの本を仕上げたという達成感もあり、
著者ふたりの本業が『あほみたいに』忙しいという事情もあり、
なかなか歴史に向きあえませんでしたが再始動します。

僕たちは歴史研究を生涯のテーマとしております。

次のスタートポイントは「熱田神宮」。
好きすぎて前回の本で扱えなかったのです。

「あいち」「あつた」「あつわ」「ちた」って
なんだか似ていませんか?
次回の作品からは、このあたりから。

引き続きよろしくお願い致します。


2018年9月9日日曜日

ご意見ご批判大歓迎大募集

「ロマンで古代は読み解けない」を出版するにあたって
楽しみにしていたことがあります。

それは提案した仮説に対する議論の深まりです。

特に伊勢神宮の内宮外宮2社制についての解釈は
いままで何方も提案されなかったものです。
発見したときの「あっ」という腰の浮くくらいの感触を
共有していただきたいという思いもありますし、
僕たちとしては最も世に問いたい仮説です。

もちろん議論というものは読者の皆さんに
乗ってきていただかないとどうにもなりません。
もしなにかご意見ありましたら遠慮なく作者に浴びせかけてみてください。
それは手厳しい批判であってもいいのです。
もし本を買っていただいた上にご批判まで頂けるのでしたら、
普段科学論文を無料で配布している身としては
考えられないくらいのありがたい状況です。
見かけの割には高価格の本ですし。

さて、
このたび某レビューに
「ノンフィクションとして星2つ」
との趣旨のご批判をいただきました。

本の宣伝文句に「科学」というキーワードを使っていますし、
そもそもタイトルが「ロマンじゃない!」と謳っているので、
読者の方が本書をノンフィクションとして扱うのは当然であり、
これは至極当然のご批判と思います。
大して文献の引用もない本書は、
確かにノンフィクションとしては不出来であるに違いありません。

しかし果たして本書はノンフィクションでしょうか。
どこかプロレスのように現実と非現実の境界を
行き来しているような雰囲気をもっていないでしょうか。
あるいは思想書のような哲学書のような。

某レビューの中でも触れられていますが、
「著者たちも最後には認めてしまっている」のです。
そう。この問題については僕たちも自覚をしております。

著者はふたりは科学論文をガンガン書いている現役の科学者です。
科学論文は怖い査読者と恐ろしいエディターの批判をかいくぐって世に出ます。
著者ふたりの身体には「科学」が痛いほど染み付いています。
そんなふたりが「あえて」このようなスタイルの本を書いたのです。
意図を想像していただくのもご一興かと思います。

実は某レビューには続きがあります。
「ノンフィクションとして星2つだけど、フィクションとしてなら星5」
です。

僕たちにとって「フィクションとしては星5」は
最大限の誉め言葉です(涙)。

ご意見ご批判大歓迎大募集です。


2018年7月9日月曜日

アマゾンなど売り切れ店あり

好評発売中の「ロマンで古代史は読み解けない」ですが、アマゾンなどで売り切れ状態が続いております。書評などによって急激に売れた影響かとおもいます。まことにありがたいことですが、これから購入予定のかたには、まことにすみません。
アマゾンでは定価より高い中古品などが出回っておりますが、税込み価格 ¥1,836(本体¥1,700)ですので、くれぐれもお間違えのないよう!

紀伊国屋などには在庫があるようですので、こちらのページをご参照ください。どうぞ、よろしくお願いいたします。

(後日記述)2018年9月初頭現在、解消されております。

2018年6月6日水曜日

あじさいの話

 次第に雨の降る日が増え、季節が梅雨めいてきましたね。6月は休日もなく、もうすでに憂鬱な気持ちになっていらっしゃる方もいるかもしれません。私たちの生活の中では、梅雨の時期はあまり良い事がないように思われるかもしれませんが、自然界にとっては正に恵の時期です。こぞって命が生まれ、草木がより青く色づきだすこの時期は、二十四節気では小満(しょうまん:今年は5月21日から)から芒種(ぼうしゅ:今年は6月6日から)、そして次のかわらばんが出る頃はもう夏至(今年は6月21日)に入ります。芒種から次の夏至までの間をさらに3分割した七十二候では、初候は蟷螂生(とうろうしょうず、カマキリが生まれる時期の意)、次候は腐草為蛍(ふそうほたるとなる、腐った草が蒸れて蛍になる時期の意)と呼ばれ、雨と湿度がさまざまな命を生み出す様子が美しく表現されています。こうして季節の言葉を紐解いてみると、一見あまり良いことがなさそうな梅雨も、然程捨てたものではないように見えて来るから不思議です。

 さて、梅雨を代表する花といえばあじさいでしょう。あじさいの語源には諸説ありますが、「藍色が集まったもの」という意味の「集真藍(あづさい)」というのが最も有力な説だそうです。音として存在していた日本語を文字として表記するため、古くは漢字の音を借用した万葉仮名が用いられていました。万葉仮名とはいわゆる当て字のことで、日本最古の和歌集である万葉集は全てがこの万葉仮名で表記されています。万葉集の中であじさいは「味狭藍」や「安治佐為」、そして平安期の辞書である和名類聚抄では「阿豆佐為」と漢字が当てられているところをみると、花名は古代よりあじさいと固定していたことがわかります。現在あじさいの表記として一般的なものになっている「紫陽花」という漢字は、私の大好きな詩人白居易によるものなのですが、元々この字は、あじさいに似た別の品種であるライラックに付したものです。つまり白居易の言う紫陽花は、日本で言われるところのあじさいとは異なる花なのですね。



 あじさいは土壌のpHによって簡単に色が変わるため、別名「七変化」とも言われます。加えて、花の色は日が経つにつれて薄い黄緑色から赤や青、そして赤みの強い色へと徐々に変化していくのですが、これは土壌の環境とは関係なく花の老化現象として発現します。このようにコロコロと色を変えていく様が昔の人には良く思われなかったのか、万葉集の中に記されたあじさいの歌はわずか2首しかありません。そのうちひとつは大伴家持の作ですが、これは後に正妻として迎えることになる家持の従妹、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に向けて書かれたもので、解釈が非常に難しい歌として有名です。

 言問はぬ 木すら味狭藍諸弟らが 練の村戸に あざむかえけり(巻4,773)
(物言わぬ草木ですら、あじさいのように移り気なものがあります。周りの人々の巧みな言葉に私は欺かれたのです)

 この歌に出て来る諸弟や練、村戸などの言葉をどう解釈するかが未だに定まっていないため、その解釈には諸説ありますが、この歌の前後にある大嬢に向けた別の歌を見ると、この時期二人の間があまりうまくいっていなかったのだな、ということがわかります。家持と大嬢は幼い頃より恋仲でしたが、数年の別離の期間を経て正妻として迎えることになった経緯があります。おそらく家持は、あじさいのように移り気な大嬢に「欺かれた」と考え、彼女を歌で責めたのでしょう。

 このような歌の題材にもなったあじさいなので、花言葉も「浮気」「移り気」「無常」とそれはそれは散々なものです。七変化するその姿からこのような意味が付されたのはわかりますが、さすがにこれではあじさいが可哀想ですね。そこで最近は花屋の巧みな戦略なのか、「家族団欒」や「仲良し」といった意味を盛り込み、さらに色ごとに「青:辛抱強い愛」「桃:元気な女性」「白:寛容」を表すとし、母の日に好んで選ばれるそうです。
 そんなあじさいですが、実はお寺に多く植えられている花としても有名です。特にあじさいが多く植えられていることで有名な寺は「あじさい寺」と呼ばれ、全国に点在しています。医療の発達していなかった時代、梅雨時は多くの病が流行りました。この時期に見頃を迎えるあじさいは、別名死者に手向ける花と呼ばれ、墓前に添えられる花として寺に植えられたそうです。みなさまぜひこの機会に訪れてみてはいかがでしょうか。

 梅雨時には湿気のためカビも発生し、呼吸器を悪くする方もいらっしゃいます。この機会に家の掃除をして心身ともにすっきりさせましょう。そして心の健康のために良かったらあじさいを家に迎え、その七変化の様を観察してみてください。その色の移りゆく様は、あじさいの悲しい経緯や花言葉を払拭するほどに美しく、きっとみなさまの心に柔らかな彩りを残してくれると思いますよ。

2018年4月27日金曜日

【正誤表】ロマンで古代史は読み解けない

出版された本の中に、いくつか誤字脱字、訂正箇所、そして追加説明が必要な箇所があります。本自体の訂正は重版がかかるタイミングでしかできないのですが、現在わかっている箇所について、先にここに書き記しておきたいと思います。はあ、情けない。。

11ページ:7行目の「洪水」を削除です。どんだけ洪水起こすのかって話ですよ。
70ページ:図8の⑦は上弦ではなく、下弦の月です。下にあるのにーっ。
117ページ:図11の説明で「青丸と青破線」は間違いで「丸と斜線」が正しいです。
125ページ:伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度です。40年になっております。


2018年4月10日火曜日

本が発売されました!

ついに『ロマンで古代史は読み解けない』が発売されました。自然科学の研究者なのに、脳の研究者なのに、心理の研究者なのに、歴史本です。

本書の骨格は自然科学の研究によく似ています。まず対象をしっかりと観察します。本書の場合は地図です。そして何らかの法則を見出します。本書の場合は伊勢神宮に見出された陰陽の軸構造です。次に、見出された法則が別の場所でも成り立つかを検証します。本書の場合は諏訪、熊野、賀茂、菅生だったりします。すべての場所で同じ法則が成立していたら、法則は確からしいとなります。まるでニュートンの法則みたいですね。

自分たちが信じられる骨格ができたら、あとは古代の人々への思いを込めて一気に書き切りました。

骨格とした「陰陽」は、なんだかスピリチュアル的なイメージがありますが、本書での扱いは「対立するもの同士を融和して、新しく強固なものを作りあげる」という比較的シンプルな考え方です。恐らくは「陰陽五行」という形式で中国から輸入されるはるか以前から、日本の風土で培われた概念ではないかと想像しています。天地、東西、上下、内外、男女、火水、日月、光闇などは、二本でひとつである、世界は二本でひとつ。特に対立する民族、対立する宗教を融和するのに絶大な威力を発揮したことでしょう。ややもすれば対立が深まる今この世界に、最も必要とされている考え方ではないでしょうか。

神保町のレジ横(東京)
異彩を放つカバーは、書家加藤一陽さん渾身の書き下ろしを軸にして、デザイナーさんに本のコンセプトを踏まえて綺麗にまとめて頂きました。カバーには本に関わったすべての人の思いが込められています。

正文館書店(岡崎市本店)

まずは立ち読みで。なにをおいても「内宮と外宮」はぜひぜひ読んで頂きたいです。著者がいうのもなんですが、鬼気迫る自信作です。

TSUTAYA岡崎インター店(岡崎市)

お近くの書店になければ、アマゾン紀伊國屋コンビニ系などの取り扱い店でも!

大人気の竹島水族館本に挟まれたロマン古代@正文館シビコ店


2018年2月20日火曜日

もうすぐ本が発売されます

以前もご紹介した「岡崎の六並び」。
https://okazaki6.blogspot.jp/
愛知県岡崎市を中心に六の地名が一直線に並んでいるという地名&歴史ミステリー。

ついに歴史短編エッセイ集が完成しました!
本のタイトルは、『ロマンで古代史は読み解けない』。
科学者ふたりが粘り強く推理と妄想を重ねました。

イラストのプロが書き起こした図版多数掲載。4月半ばの出版を目指して鋭意校正中。




壮大な物語は、岡崎だけではなく全国を駆け巡ります。伊勢、出雲、熊野、諏訪、京都、そして岡崎。短編集のラストを飾るのは、やはり岡崎の六並びです。

果たして謎は解けたのか?お楽しみに!


Amazonで予約ができます。


2018年1月31日水曜日

滝山寺鬼まつり

久しぶりに節気の話をしましょう。もうすぐすぐに節分がやってきます。節分は、年に1度豆まきや恵方巻きを食べるなど、さまざまな節分のイベントを行うタイミングだけを言うのではなく、立春(2月4日)、立夏、立秋、立冬の前日が全て節分にあたります。つまり各々の季節の始まりの日が節分なのですね。

 さて節分といえば豆まきです。これは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていたため、鬼を追い払うために行われるようになったと一般的には伝えられています。この悪魔祓い的行事はもともと宮中行事が発祥です。平安時代に行われていた「追儺(ついな)」が元になっています。追儺は、方相氏(ほうそうし)という鬼役の役人と、方相氏の脇侍となる役人総勢20名で、大内裏の中を「鬼やろう(鬼やらい)」と掛け声を掛けながら練り歩く行事でした。方相氏の付けていた面は、現在の赤鬼青鬼とはだいぶ異なり、金色の目が4つ付いた、呪術の面のような独特の様相をしています。面白いことにこの方相氏は、現在のように鬼そのものとして現れるのではなく、逆に鬼を追い払う特別な神としての役割を担っていたそうです。方相氏が大内裏をめぐる際は、公卿の一人が方相氏を援護するため弓を清涼殿から引き、他の内裏にいる殿上人たちは方相氏のためにでんでん太鼓を振って音で彼を援護しました。これが厄払いだったのです。ある意味英雄であった方相氏が、忌み嫌われる鬼側に身をやつしたのは、9世紀に入ってからのようで、その理由はよくわかっていません。

 全国的にさまざまな厄払いが行われる節分ですが、岡崎市の滝山寺では一風変わった節分まつりが行われています。それが「滝山寺鬼まつり」です。滝山寺の創建は、天武天皇の時代(朱鳥元年,686年)にまで遡り、鬼や式神を操ることで知られる、かの超有名な修験者役小角(えんのおづぬ)が創建した「吉祥寺(きっしょうじ)」という寺が起源であると滝山寺縁起に伝えられています。1222年、清和源氏のひとり足利義氏によって建てられた本堂は国の指定重要文化財ですが、滝山寺鬼まつりではこの本堂に巨大な松明を持ち込み、境内回廊を練り歩きます。この際、爺面、婆面、孫面という、3つの鬼の面を被った鬼役も回廊を一緒に練り歩きますが、彼らはかつての方相氏と同じく、鬼を払う神としての役割を担っています。つまり滝山寺の鬼たちは、極めて古い形の鬼の役回りを担っていると考えられるのです。鬼役の人物は祭の前1週間、潔斎沐浴して別室で寝起きをし、四つ足動物の肉を口にすることができません。また彼らの身の回りの世話や炊事は、全て男性によってまかなわれます。これは祇園祭の鉾に乗る稚児役と同様のものです。岡崎の鬼まつりは、ダイナミックな松明にだけ着目されてしまいがちですが、実は大事なのはそちらではなく、3人の神となった鬼役こそが主役なのです。



 鬼まつりの陰に隠れてもうひとつ、この3人の鬼には別のコワイ逸話が残っています。実はもともと面は5つあったことが伝えられているのです。残りの2面は父面と母面であり、精進潔斎を行わずにこの面をつけて祭を行った僧の顔に面が張り付いて取れず、遂には死に至ったそうです。彼らは面とともに境内内にある薬師堂の前に葬られました。この場所は「鬼塚」として現在も残されていますが、ここでは鬼まつりの際、炒った五穀を撒き、「春秋の芽の生うる時出で来たれ」と呪文が唱えられます。炒った五穀は撒いても芽は出ません。つまりこれは鬼が「一生出てこないようにする」ための呪いとも考えられます。そして鬼を封じた五穀は、薬として持ち帰る風習があるそうです。

 もし炒っていない五穀を撒いたらどうでしょう。もしかしたら本当に父面、母面が復活してしまうかもしれませんね。力ある神(鬼)を祀ることで私たちの厄を払ってくれもしますが、いい加減にやると本当に悪鬼となってしまうという良い例だと思います。ちなみに鬼に投げつけている豆ですが、あれはもともとは鬼に捧げる供物であり、そっと鬼へお供えし、機嫌よく帰ってもらうことが目的であったそうです。考えてみたら、でんでん太鼓の音が豆を撒く音に似ているから、そこから豆まきに変わったのかもしれません。ちなみに今年の鬼まつりは2月17日ですよ、かなり混みますがこの機会に一度行ってみてください。

 今年は鬼に豆を力一杯投げつけるのではなく、試しに綺麗な器にお供えし、そっと縁側にお供えしてみてはいかがでしょうか。いくら強い鬼とはいえ、痛い思いをするよりもゆっくり座って美味しい豆が食べたいかもしれません。ちなみに私はちょっとこの方法でいってみたいと思っています。

2019年の鬼祭りクライマックス


2017年12月1日金曜日

菅生神社のお祭り「菅生祭」の不思議

 私たちの住む岡崎市では、毎年8月の第一土曜日に花火大会があります。今年の花火大会は8月5日ですね。大会会場になる乙川(菅生川)河川敷では、ちょうどこの時期に桟敷席などが整備されるなど、かなり盛り上がって来ています。この花火大会は市をあげて行う、かなり大掛かりなイベントです。とても盛大に開催されるため、近隣の県からもたくさんの観光客が訪れるとても賑やかなイベントです。

 しかしこの花火大会、実はタダの観光用の花火大会ではないようです。今回はとても不思議なこの花火大会の由来と、その元になった菅生神社のお祭り「菅生祭」について考えてみたいと思います。

 岡崎市が開催している花火大会は、もともとは東岡崎駅から北へ向かい、殿橋を渡った左手の乙川沿いにある菅生神社のお祭りとして開催されていました。この菅生神社のお祭りは菅生祭と言い、江戸時代文政の頃(西暦1818〜1829年にかけての時期で、第11代将軍徳川家斉の時代にあたります)から続けられています。いわゆる厄除けのお祭りで、京都の祇園祭のように「宵宮祭」、「例大祭」を経て、8月第一土曜日の花火大会までを含めて菅生祭と言うそうです。この花火は、江戸の頃は菅生川(乙川)に提灯を付けた鉾船を浮かべ、手筒花火や金魚花火(水の中を走る花火)が奉納されていたそうです。現在の花火大会でも鉾船から花火が打ち上げられます。しかし本当に面白いのは、実は打ち上げ花火に先立って開催される「船魂祭」と「鉾船神事」です。

 花火大会の開催当日は、午後14時より船魂祭が始まります。天王丸、菅生丸と名付けられた2艘の鉾船に宮司らが乗船し、安全祈願の祝詞を奏上します。その後、船の上から菰(こも:イネ科の多年草、ムシロを編むのに使います)で作った人形と、神葭(みよし:イネ科の多年草であるヨシを束ねたもの)を流し、疫神を川に流します。これは鉾船神事と呼ばれています。この菅生祭と同様の神事はこの三河、尾張にはとても多いようで、有名なところでは尾張津島天王祭が菅生祭に近いかもしれません。


天王丸と菅生丸。右に岡崎城天守閣が見える

 この鉾船、京都の祇園祭の鉾船と同じ意味を持っています。八坂神社の御祭神は牛頭天王(スサノオノミコトと言われています)ですが、尾張津島天王祭も牛頭「天王」の祭りですし、何より菅生神社にも牛頭天王がスサノオノミコトとして合祀されています。そもそも神葭流しは、牛頭天王信仰のある場所で行われますし、なにより祇園祭の鉾で配られるちまきは、神葭で包まれていますね。つまりどういうわけか、この菅生神社は牛頭天王を通じて祇園祭とも深い関係があるようなのです。

 なかなか面白い由縁を持つ菅生神社のお祭りですので、花火の前の神事にも、ぜひ注目してくださいね。