簠簋は古代中国で用いられた祭祀用の皿。簠(竹+甫+皿)は外が方形で中が円形にくり貫かれている。簋(竹+艮+皿)は外が円形で中が方形にくり貫かれている。つまり簠簋という器は、その姿かたちでこの世の仕組みと陰陽を表現しているのが面白い。
金烏玉兎集は全5巻からなるが、第1巻は牛頭天王の縁起に集約。牛頭天王とは何か。
これまで私は、牛頭天王というのは神仏習合の概念と国家神道の政策から後世にその概念が完成させられた神であり、そもそもはスサノオと同義と解釈していた。でもその考えは少し改めないといけないかもしれない。
牛頭天王といえば、まさに今祭りの真っ最中祇園祭で有名な八坂神社のご祭神。牛頭天王の縁起によると、本地仏は東方浄瑠璃世界の薬師如来。この薬師如来の願いにより、須彌山にあるという豊饒国の武答天王の一人息子として垂迹し、姿をあらわしたのが牛頭天王であるという。
面白いことに、垂迹後に牛頭天王がたどった軌跡は、高天原から天下ったスサノオの神話八岐大蛇伝説に良く似ている。彼は八大龍王のひとりであり、大海原の主である沙掲羅龍王の一人娘である頗梨采女をめとる。ここから蘇民將來・古単將來兄弟と牛頭天王の逸話が始まるわけだが、いずれにせよ牛頭天王もスサノオも海と縁深い。でも一方は神話の龍、もう一方は割と現実的な話である。
私が今知りたいのは、浄瑠璃世界の主薬師如来と牛頭天王、スサノオ、それぞれの特徴と一緒にされたその真意である。いつも不思議だったのだが、スサノオや牛頭天王の片割れは誰なんだろうか。いつだってスサノオ・牛頭天王は孤独だ。簠簋内伝金烏玉兎集の最重要人物であり、常世(海の向こう)の神であるというのであれば、相方は金烏側、すなわち陽であろう。これは一体誰に当たるのだろうか?
スサノオの対になるのは太陽であるアマテラスだ。では何故ツクヨミが必要になったのだろうか?ぶっちゃけいらんのではないか?
そしてさらに言えば、アマテラスは牛頭天王の世界には出てこない。瑠璃光世界(常世)の住人である薬師如来は、そもそも牛頭天王が垂迹した姿だとするとイコールだ。だとしたら一体誰がそれにあたる?大日如来?わからない。釣り合う相手は誰だろう。
仏教ちゃんと勉強しておけばよかった。私の知識ではさっぱり足りない。
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