2018年6月6日水曜日

あじさいの話

 次第に雨の降る日が増え、季節が梅雨めいてきましたね。6月は休日もなく、もうすでに憂鬱な気持ちになっていらっしゃる方もいるかもしれません。私たちの生活の中では、梅雨の時期はあまり良い事がないように思われるかもしれませんが、自然界にとっては正に恵の時期です。こぞって命が生まれ、草木がより青く色づきだすこの時期は、二十四節気では小満(しょうまん:今年は5月21日から)から芒種(ぼうしゅ:今年は6月6日から)、そして次のかわらばんが出る頃はもう夏至(今年は6月21日)に入ります。芒種から次の夏至までの間をさらに3分割した七十二候では、初候は蟷螂生(とうろうしょうず、カマキリが生まれる時期の意)、次候は腐草為蛍(ふそうほたるとなる、腐った草が蒸れて蛍になる時期の意)と呼ばれ、雨と湿度がさまざまな命を生み出す様子が美しく表現されています。こうして季節の言葉を紐解いてみると、一見あまり良いことがなさそうな梅雨も、然程捨てたものではないように見えて来るから不思議です。

 さて、梅雨を代表する花といえばあじさいでしょう。あじさいの語源には諸説ありますが、「藍色が集まったもの」という意味の「集真藍(あづさい)」というのが最も有力な説だそうです。音として存在していた日本語を文字として表記するため、古くは漢字の音を借用した万葉仮名が用いられていました。万葉仮名とはいわゆる当て字のことで、日本最古の和歌集である万葉集は全てがこの万葉仮名で表記されています。万葉集の中であじさいは「味狭藍」や「安治佐為」、そして平安期の辞書である和名類聚抄では「阿豆佐為」と漢字が当てられているところをみると、花名は古代よりあじさいと固定していたことがわかります。現在あじさいの表記として一般的なものになっている「紫陽花」という漢字は、私の大好きな詩人白居易によるものなのですが、元々この字は、あじさいに似た別の品種であるライラックに付したものです。つまり白居易の言う紫陽花は、日本で言われるところのあじさいとは異なる花なのですね。



 あじさいは土壌のpHによって簡単に色が変わるため、別名「七変化」とも言われます。加えて、花の色は日が経つにつれて薄い黄緑色から赤や青、そして赤みの強い色へと徐々に変化していくのですが、これは土壌の環境とは関係なく花の老化現象として発現します。このようにコロコロと色を変えていく様が昔の人には良く思われなかったのか、万葉集の中に記されたあじさいの歌はわずか2首しかありません。そのうちひとつは大伴家持の作ですが、これは後に正妻として迎えることになる家持の従妹、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に向けて書かれたもので、解釈が非常に難しい歌として有名です。

 言問はぬ 木すら味狭藍諸弟らが 練の村戸に あざむかえけり(巻4,773)
(物言わぬ草木ですら、あじさいのように移り気なものがあります。周りの人々の巧みな言葉に私は欺かれたのです)

 この歌に出て来る諸弟や練、村戸などの言葉をどう解釈するかが未だに定まっていないため、その解釈には諸説ありますが、この歌の前後にある大嬢に向けた別の歌を見ると、この時期二人の間があまりうまくいっていなかったのだな、ということがわかります。家持と大嬢は幼い頃より恋仲でしたが、数年の別離の期間を経て正妻として迎えることになった経緯があります。おそらく家持は、あじさいのように移り気な大嬢に「欺かれた」と考え、彼女を歌で責めたのでしょう。

 このような歌の題材にもなったあじさいなので、花言葉も「浮気」「移り気」「無常」とそれはそれは散々なものです。七変化するその姿からこのような意味が付されたのはわかりますが、さすがにこれではあじさいが可哀想ですね。そこで最近は花屋の巧みな戦略なのか、「家族団欒」や「仲良し」といった意味を盛り込み、さらに色ごとに「青:辛抱強い愛」「桃:元気な女性」「白:寛容」を表すとし、母の日に好んで選ばれるそうです。
 そんなあじさいですが、実はお寺に多く植えられている花としても有名です。特にあじさいが多く植えられていることで有名な寺は「あじさい寺」と呼ばれ、全国に点在しています。医療の発達していなかった時代、梅雨時は多くの病が流行りました。この時期に見頃を迎えるあじさいは、別名死者に手向ける花と呼ばれ、墓前に添えられる花として寺に植えられたそうです。みなさまぜひこの機会に訪れてみてはいかがでしょうか。

 梅雨時には湿気のためカビも発生し、呼吸器を悪くする方もいらっしゃいます。この機会に家の掃除をして心身ともにすっきりさせましょう。そして心の健康のために良かったらあじさいを家に迎え、その七変化の様を観察してみてください。その色の移りゆく様は、あじさいの悲しい経緯や花言葉を払拭するほどに美しく、きっとみなさまの心に柔らかな彩りを残してくれると思いますよ。

(文責S)