さて、今回はこの季節を代表する、日本原産のあの花を取り上げてみましょう。それは茶道の茶花の女王「椿」です。
椿は日本原産で、本州、四国、九州、北は青森県にまで分布するなど、日本全国幅広く群生しています。本州の中北部や、比較的標高の高い場所でよくみられるユキツバキは近縁種で、通常の椿とは微妙に群生地が異なり、棲み分けが起きているようです。和名の椿(つばき)の始まりは良く分かっていませんが、厚葉樹(あつばき)や艶葉樹(つやばき)が転じたものであるといわれています。日本での椿の記述は古く、万葉集や日本書紀、出雲風土記にも椿が記述されています。中国でも、隋の2代目皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」「海石榴」という記述で出てきますが、もともと中国本土には椿はなかったため、これは海の向こうにある日本からやってきた花、という意味の漢字であるようです。ただ、この「海石榴」が本当に私たちが見知っている椿であったのかどうかについては、現在も論争が続いており、国際的には未だ認められていないようです。
椿は通説として「首から落ちるから縁起が悪く、武士には忌み嫌われた」といった、いわゆる忌み花と聞いたことがある人もいらっしゃるかと思います。しかしこの説は江戸時代以前の文献には一切出てこないばかりか、反対に徳川幕府が江戸に開かれたことによって多くの寺社仏閣、武家屋敷に好んで植栽されていきました。特に2代目将軍である徳川秀忠の椿好きは有名で、慶長18年に刊行された「武家深秘録」の中には「将軍秀忠花癖あり、名花を諸国に徴し、これを後吹上花壇に栽えて愛玩す。此頃より山茶(椿の中国語表記)流行し、数多の珍種をだす」と書かれています。これがいわゆる江戸椿の基礎となったのです。このため、徳川家と縁深いこの愛知県でも江戸時代より椿の育成が重んじられ、さまざまな品種が生み出されることになりました。特に有名なのは名古屋城御殿椿として名高い「尾張五色椿」ですね。成木になると、ひとつの木で白、白地に桃縦紋、紅地白覆輪、桃色など、さまざまな色合いの椿の花が咲くのでこの名がつきました。
また椿は日本では魔除の木としても重用されてきました。中国の正月の魔除お守りに「剛卯杖」というものがあります。これは漢の時代に始まった風習で、正月の卯の時期に白玉などで装飾し、魔除けの呪文を刻んだ桃の木を腰に刺し魔を払います。剛卯という言葉は、中国の皇帝の姓である「劉」の字が「金」「卯」から成り、ここに剛の字を加えることで「無敵の強さ」を意味するそうです。この風習が日本に伝わったところ、日本には古来桃がなかったため、材質として強い椿が代用されたものと思われます。そして日本ではこの杖を腰に刺すのではなく、宮廷では正月に部屋の四方に飾る、魔除けの杖「卯杖」として独自の形態を取っていくことになるのです。日本書紀には、この卯杖80本が持統天皇に献上された記述が残されているだけでなく、正倉院宝物殿に保管されている卯杖の材質について椿(海石榴)であるという記述が残されています。卯杖の風習は今でも京都の上賀茂神社で残され、正月の卯の神事の際には参拝客に卯杖が配られています。
この椿、幸田町に名所があります。深溝松平家の菩提寺として名高い「曹洞宗瑞雲山本光寺」です。ここは三河の椿郷として知られ、本堂裏手から展望台に至る山の斜面全てが椿園になっており、実に200種、計5000本もの椿が植えられています。見ごろのピークは3月下旬からのようですが、早咲きのものもありますので、今からちょうど見ごろになるはずです(http://www.kota-kanko.jp/event/ajisai.htm)。
椿というと、古い映画が好きな私などは、黒澤明監督の「椿三十郎」を思い出します。隣にある敵のアジトから流れる水路に椿を流し、それを合図に一斉に切り込む、という女性ならではのアイディアに笑うとともにひざを打ち、そして敵の手によってたくさんの椿が水路に流れていくさまに、胸がすくような思いがしたことを今でも覚えています。何か大きな仕事など、人生の山場とも言える瞬間くらい、椿が似合うシチュエーションは、もしかしたらないかもしれませんね。
(文責S)
いつも楽しく読ませていただいております。たまたまテレビを見てたらサイエンスZEROに出演されていたので驚きました。人工知能がご専門なのですね。こちらのブログと合わせて益々のご活躍を期待しております。
返信削除サイエンスZEROご覧いただきありがとうございます。そうなんです。そっちが本職になります(笑)。地理歴史も継続的に考察を続けております。今後もよろしくお願いいたします。
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