2019年5月31日金曜日

私的備忘録「善光寺」

備忘録のため、オチはありませんが御容赦を。

御本尊は一光三尊式阿弥陀如来。絶対秘仏のため未来永劫厨子が開かれる日は来ない。厨子を動かすのは12月28日の煤払いの日のみ。いつでも背負って逃げられるよう背負紐が付いている。ところがメチャクチャ重く、到底背負って動けるようなものではない。これは秘仏が閻浮壇金という特殊な金によって出来ているからである、と伝えられている。阿弥陀如来を中心に、右に観音菩薩、左は勢至菩薩。

阿弥陀如来の右手の印相はオーソドックスな施無畏印。衆生の畏れを取り除くことを意味している。対して左手の印相は非常にイレギュラーで、なぜか刀剣印。このスタイルの印相を組む阿弥陀如来は国内外問わず稀である。

脇侍である観音菩薩・勢至菩薩の印相は梵篋印。胸前で左右の手の平を水平に重ね合わせている。手の中には真珠の薬箱があると善光寺縁起で伝えられている。

wikipediaによると、一光三尊形式といえる(一光四尊にも見える)最古の例は、宋・元嘉28年(451年)の銘がある金銅仏。善光寺式に似た例としては、北魏・大安元年(455年)の銘がある張永石坐像(藤井斉成会有鄰館 蔵)。ただし両脇侍は半跏思惟像。上海博物館の石造漆金仏坐像(南梁大同元年、546年)は刀剣印や梵篋印まで善光寺式と酷似している。


ここで気になる点は2つ。ひとつは「なぜ阿弥陀如来に刀剣印を結ばせたのか」。そしてもうひとつは「なぜ脇侍が“真珠の薬箱”を持っているのか」。

善光寺周辺一帯は水が豊富な場所である。特に湧水が多い。そして蛇を意味するものも多い。特徴的なのは善光寺から南の歩道にある蛇石。蛇は水神であり、龍になる。草薙剣に代表されるように、剣と蛇の親和性は高い。神剣には大抵の場合、蛇や龍の由縁がついている。剣は金、金生水。

また真珠という宝石は、当然のことながら海の産物。陰陽五行でも水気に属する。海の名残のある「薬箱」には一体どのような意味があるのか。ここからは関連があるか分からないが、愛知県の物部に関連する寺院には、なぜか「薬師如来」が祀られていることが多い。薬師如来は瑠璃光世界の信仰、徳川家康が特に手厚く祀っている。推古天皇2年(西暦594年)物部守屋の次男である真福が聖徳太子に依頼して建立したとされる「霊鷲山降劒院真福寺」の御本尊は水体薬師。その正体は湧水井戸であり、寺ながら古神道の要素が非常に強い。ここには神社も併設されているが、名前は「八所神社」ここは「8」である。

物部由来の寺社仏閣にはとにかく剣にまつわるものが多い。石上神宮しかり。善光寺と石上神宮を結ぶ線上にはかの「熱田神宮」が乗る。剣があるのは、石上神宮と熱田神宮。石上神宮が祀るのは物部の祖ウマシマジが神武へ献上した物部の守護剣「布都御魂剣」、そしてヤマタノオロチを退治する際にオロチを殺した「天羽々斬剣」。熱田神宮が祀るのは言わずと知れた三種の神器のひとつ「草薙剣(別名天叢雲剣)」。なんとこのラインの上には、神代三剣全てが乗っていることになる。

そして終点善光寺には直接的な剣の伝承はない。ただし、なぜか阿弥陀如来が刀剣印を結ぶ。このことの意味やいかに。

次は善光寺の鬼門にある城山公園内「健御名方富命彦別神社」の備忘録を記載予定。

(文責S)