しかしこの花火大会、実はタダの観光用の花火大会ではないようです。今回はとても不思議なこの花火大会の由来と、その元になった菅生神社のお祭り「菅生祭」について考えてみたいと思います。
岡崎市が開催している花火大会は、もともとは東岡崎駅から北へ向かい、殿橋を渡った左手の乙川沿いにある菅生神社のお祭りとして開催されていました。この菅生神社のお祭りは菅生祭と言い、江戸時代文政の頃(西暦1818〜1829年にかけての時期で、第11代将軍徳川家斉の時代にあたります)から続けられています。いわゆる厄除けのお祭りで、京都の祇園祭のように「宵宮祭」、「例大祭」を経て、8月第一土曜日の花火大会までを含めて菅生祭と言うそうです。この花火は、江戸の頃は菅生川(乙川)に提灯を付けた鉾船を浮かべ、手筒花火や金魚花火(水の中を走る花火)が奉納されていたそうです。現在の花火大会でも鉾船から花火が打ち上げられます。しかし本当に面白いのは、実は打ち上げ花火に先立って開催される「船魂祭」と「鉾船神事」です。
花火大会の開催当日は、午後14時より船魂祭が始まります。天王丸、菅生丸と名付けられた2艘の鉾船に宮司らが乗船し、安全祈願の祝詞を奏上します。その後、船の上から菰(こも:イネ科の多年草、ムシロを編むのに使います)で作った人形と、神葭(みよし:イネ科の多年草であるヨシを束ねたもの)を流し、疫神を川に流します。これは鉾船神事と呼ばれています。この菅生祭と同様の神事はこの三河、尾張にはとても多いようで、有名なところでは尾張津島天王祭が菅生祭に近いかもしれません。
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天王丸と菅生丸。右に岡崎城天守閣が見える |
この鉾船、京都の祇園祭の鉾船と同じ意味を持っています。八坂神社の御祭神は牛頭天王(スサノオノミコトと言われています)ですが、尾張津島天王祭も牛頭「天王」の祭りですし、何より菅生神社にも牛頭天王がスサノオノミコトとして合祀されています。そもそも神葭流しは、牛頭天王信仰のある場所で行われますし、なにより祇園祭の鉾で配られるちまきは、神葭で包まれていますね。つまりどういうわけか、この菅生神社は牛頭天王を通じて祇園祭とも深い関係があるようなのです。
なかなか面白い由縁を持つ菅生神社のお祭りですので、花火の前の神事にも、ぜひ注目してくださいね。
(文責S)
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