紀郎女、又の名を紀小鹿郎女。紀鹿人の娘で安貴王の妻。夫が藤原家の妻と不倫して略奪した挙句、不敬罪で官職を追われてしまった小鹿さんは、まだうら若き20歳だった。失意のまま恭仁京にひとり暮らしていた彼女に魅了されたのが、有名な歌人大伴家持。出会った頃の家持は20代、その頃は30をゆうに越えてしまっていた小鹿からみたら一回り近くも下だったが、二人はいくつか恋歌を交わしている。彼らの恋歌はやれ粋だ、素敵だ、ともてはやされることが多いが、私はそんな良い話なんかじゃないのではないかな、と思っている。
家持は、確かに小鹿を愛していただろう。しかし家持が愛していたのは小鹿の非凡な歌の才であって、彼女の全てではない。彼女に素晴らしい言葉を編ませるために、わざと家持は彼女にメンションを飛ばしていたんじゃないかと私は思う。
彼女へ優しい言葉を投げ、本気になりそうになったら肩を透かす、そうして生まれた戯れのような歌の数々から垣間見える、家持という御仁のサイコな気質に戦慄すら覚える。
小鹿の「小」は敬称。いわゆるイタリア人が美男美女に送るバンビーノ、バンビーナ「小鹿ちゃん」とは違い、若く美しい鹿の君、という意味。さしずめ鹿御前、といったところか。彼女の父親である鹿人と掛けた、粋な名である。
言葉は言霊と信じられていた古代、特に女性の名が文書として残されることはほとんどなかった。このような中、家持は彼女の歌に注釈で「小鹿」をPRし続ける。それはちょっと偏執的なまでに執拗に。
これを家持の愛ととるか?いやいや、反対に家持は生理的にこの女性を嫌っていたんじゃないのかと思う。だからこそ、戯れとして持ち上げ、嘲笑い、弄び、挙句恭仁京の単身赴任期間を終えて平城京へ戻ってからは一切彼女との連絡を切ったのではないか。
穿った見方かもしれないけど、私はどうにも家持が好きになれない。むしろ怖いとすら思う。
その才ゆえ、ターゲットにされた鹿御前、もし生まれ変わってまた二人が出会った時には、カウンターで肘を顎に入れ、うずくまったらこめかみに蹴りいれるくらいやって良いと私は思う。むしろやってくれ。それくらいしても貴女は許される。
問題のやりとりはこんな感じ。
<やりとりに至るまでのあらすじ>
夫の浮気と逃亡、失職と三重苦状態の小鹿ちゃん。失意のまま恭仁京に来た彼女のもとに、屋敷の草取りやら何やらと、やたら甲斐甲斐しく尽くしてくれる家持が現れる。そのうち家持から歌が送られてくるようになり、しまいには「いろいろ尽くしたのに貴女から何のご褒美もない」という恋文が届くまでになる。そんな家持に小鹿が返した歌がこれ。
小鹿
戯奴がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ
ー私がアナタのために採った茅花でも食べて少しは太りなさいませー
対する家持
吾が君に戯奴は恋ふらし給りたる茅花を喫めどいや痩せにやす
ー貴女に恋してしまって食べてもやせるばかりですー
小鹿
昼は咲き夜は恋ひ寝ぬる合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ
ー昼は華々しく暮らしているように見えても夜はアナタがいないから、ひとり寂しく寝ているのよー
この句に対する家持の返歌がこれ。マジ鬼畜。
神さぶと否にはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも
ー恋するには貴女が年老いてしまったから拒んでいるのではないですよ、しかしこうしてお断りした以上、寂しい思いをしているかもしれませんねー
百年に老舌出でてよよむとも吾は厭はじ恋は増すとも
ーまあでも、年老いて腰が曲がり、歯の間から舌が覗くようになっても、僕の貴女への恋心は増すばかり、嫌いになどなるわけがありませんー
女性からの恋文に対してお断りする時に、自分ではどうにも努力のしようもない「年齢」を理由に持ち出した挙句、追い打ちにこんなゲスい歌送ってくるとかマジで気でも狂ってんのかと。今までのは何だったんだと正気を疑うレベル。単に彼女に恥かかせて楽しんでいるとしか思えない。だとしたらマジサイコパス以外の何者でもない。私ならこんな扱いされたら立ち直れん。
しかし小鹿ちゃんは気高く、賢い。そして大人だ。
玉の緒を沫緒に搓りて結べらば在りて後にも逢はざらめやも
ー二人の魂の尾を儚い泡のようであっても撚りあわせ、結んでおけば、いつか遠い未来また会う日が来るかもしれませんねー
この句をもって狂気のやり取りは終わる。
最後に彼女が紡いだ、この呪の如く強い言葉に立ち向かえる言葉が、たかが20代の似非インテリ、クソッタレバカガキの家持にはなかったのだろう。鹿は仏の乗り物。神の遣いだ。文章の神様は最後、彼女の肩を抱いたのだと私は思いたい。